非常勤講師になった一般人

新卒非常勤の脳内を垂れ流します

非常勤講師281日目(帯状疱疹)

今日学んだこと

①金曜日、睡眠不足のしわ寄せ。寝ても眠い。早く起きるが吉。

②睡眠不足、何もかも効率悪い。何も考えていない時間の方が多い。

➂気遣いのできる人間になりたい。

④「言われてできるのが当たり前。それは学生まで。社会人はそうはいかない。」→鬱

⑤自信を無くした人間に何も務まらない。(自分の評価に鈍感であることも必要。)

⑥「物わかりの良い教師になるな」、まさにそう思う。

⑦本気でほかの職を考える。頭には大学の友人が映る。

⑧連日の残業に帯状疱疹。ストレスに体が耐えられていない。

 

悔しいが、毎日自己嫌悪に陥るような環境である。気づけば「どうしたら有能になれる」かを考える。

「なぜできなかった」「その考え方はなかった」そんなことばかりだ。

周りの先生方の「それはまずいでしょ」が自分にはそうでなかったりする。

日々、心身の摩耗である。精神をすり減らしながら職場にいる感覚である。

 

「言われてやるのは当たり前。社会人はそうはいかない。」

 

そうなんだろう。そう言ってもらえることに感謝すべきなのだろう。そこに言い返してしまえば、そこで「残念なガキ、恩知らずの世間知らず」の烙印が押される。

 

正直に言おう。

 

「無理です」

 

目の前で精一杯。叱ってくれてありがとう?いえるわけねえ、ふざけんなが第一声。

すんなり指示してくれ、期待しすぎ。目の前に集中させて。ただでさえ、目の前のことでもぼろでてんのに、気の利いたことができると思うかい、高望みではないかい。

すっかり自信を無くした、自信じゃないな、尊厳とも言おうか。

何を心持にして発言したらよい。

もはや自分の第一感で選んだ言葉たちは、彼らには不正解だ。

自分の正解が、周りにとって不正解だ。

これほど生きにくいことはない。

残念だが、こういうことだ。

 

思えば、褒められたことはないような気がする。

確実に、その相対反応が押し寄せた思いでしかない。

そしてそれが今も自分を苛む。

 

特に今日は、がっくり来た。

表情に力が入らない。体の力も抜けていった。

「どうでも良いや」とも思えた。

 

彼らの声を聴きながら、自分の頭の中は「ああ、あいつと働くの良いな。教師みたいな、子供に何か教えたり随所で臨機応変に対応する必要のない、単純作業寄りが一番自分にも楽だろうな、あいつらにも会いたいな、近くに住めば結構会えるな、なにしよう」なんて考えていた。

 

今や、昔ではない。おそらく、そうやって教育されてきたのだろう。だが私のような弱い人間は、叱り続けるのは、正論をかまし続けるのは得策ではない。叱る→褒める→叱るぐらいでないと、普通に辞めたいまで来てる。

 

持論はこうであるから、生徒らにも全否定などはもってのほかだと思う。もやは否定は必要ないとも思う。彼らの痛いところにも触れるべきではない。信頼関係のないところで、いわゆる「いじり」もあってはいけないし、晒上げのような言及もよくない。

 

彼らの貴重な時間を無駄にはしたくないし、もっと有能で導き方がうまい人間が彼らの教師であってほしい。

生涯レベルで教育できる先見の明を持った人間が教師をするべきだし、どんな場面でも最適解に限りなく近い解答を選び抜ける人間が教壇に立つべきだし、確固たる持論をもって生徒を良い方向に導ける人間が代わってくれ私と。

苦しい日々が続いている。そのため、ここの掃き溜めに来る余力さえなかった。皮膚にもとうとう違和感を感じている。目なんかは特に、画面の見過ぎで痙攣が定期的にある。

 

頑張りたいという気持ちは消えていない。明日も午前から部活だ。

つくづく頭の中は取っ散らかっているが、寝るよりほかない。寝る以外の選択肢は無い。

頭の中をきれいにしに来ました、また今度。