常勤講師 ガチの祝日
待ちわびた祝日、3連休だが、無論することは無いのである。
日頃からすべてを学校にささげてきた常勤講師の自分は、私生活などあったものではない。
休日は平日のつもりにつもったストレスを解消するために、引きこもってプロレスでも観るか、本当に何の生産性もないただ時を過ごすことに時間を費やす。
今日も今日とて、朝っぱらから学校に出向いた。
普通に先生居る。祝日とは。
まあ、わかる。むしろ、こういった休日に次週の用意をしておくことが自分のためになる。平日は落ち着いて先を見据え用意する時間は、自分は作れなかった。能力が低いためだ。
ふと休日になって、平日突っ走って目の前しか見ていない自分が考えることは、毎回、社会にとって有益で、自分ができることは何だということだ。社会に何ができる、自分ができることで、心象豊かなままで、一生仕事としてできることは何だ。
見つからない。25歳になる自分、正直焦っている。
いつ死ぬかもわからない、今日死ぬかもしれない。今までこんな風に、頭の中のゴミをノートやデータに遺してきた。ぽっくり逝ったら全部消去してほしい、家族のみんな感謝してます、と毎回思う。
今日明日、時間がある。今後のことを考えないといけない。
こんな風に適当に文字を打ち、言いたいことを言って、過ごしていけたらどれだけ快適か。
教員というもの、単純に人間と接する機会が多すぎる。内向的な自分にとって、まず大前提として不適である。単純に、適正にあった職業を選ぶことはまず他人のためになる、勝手にいじけて憤慨して、まず周りが迷惑なのである。
適職を探すことが、今年の喫緊課題だ。こういう風に、いわゆる若者が路頭に迷わないように、教育がなされていってほしいものだ。
教員が行きつく先
今年度でやめさせていただく。
理由は単純に、務まらないからである。
教員たるもの、生物的に強くなければならないと思う。
秀でた能力もなければ、人を惹きつける何かもない。
専門性もなければ、技術もない。
昨今、教員の質低下が嘆かれているが、まさにその通りである。
優れた先生は1割ほどと、同業者から言わせていただきたい。
教員は、生徒が第一、自分の利益よりも他人の利益を全うした人間がなるべきである。
労働時間、残業代0、部活顧問問題、今日の教師は何もかも求めたがる。無論、自分も不満ばかり垂れている不届きものだ。
自分ができる最大の社会貢献は、愛情の足りない子供たちに愛情を注ぐことだと考えている。教師は、姿をもって教えられるようないわゆる完璧な人間が好ましい。取り繕う毎日に疲れてしまった。
私のようなドロップアウトする教員の行きつく先は、結局教育関係なのであろう。
大学からずっと教員になるためのプログラムを専攻して、皆免許を取るのである。
適当に、留年ぎりぎりのようなダメ大学生でも免許が取れた。そして、教員は全国的に不足、教員採用試験に落ちようとも非正規職員として即採用される。採用試験後の帰り道に、「講師募集」と書かれたチラシを渡されるほど、教員は求められている。言ってしまえば、免許があれば、よっぽど人間を外れていなければなれてしまうのが、教員。公教育だろうと、関係ない。
私は最近、一日のうちに3度ほど死ぬ。脳内で、人間が代わる、考え方が一新されてしまう。それほど、脳内は忙しい。もはや、一週間前の出来事が本当にあったのかとさえ、最近思える。手帳には確かに自分の筆跡で、なにやら書いてあるのだが、にわかに実感しがたい。
今生きているのは、過去か未来か。今を生きたいのなら、さっさと眠りたい。ただ、教員の行きつく先は、なんの資格もないでくの坊である。蓄えるため、社会的に強くなるため、今日も未来を生きる。
常勤講師 ガチの日記
今年度でやめる常勤講師です。
久々にT2で入って、改めてこの時代での一斉授業の限界を感じた。
ずっとうつむいている能力の足りない子供、かたや塾などでわかりきったないように辟易し適当に時間をやり過ごす生徒、ずっと先生の話を聴くだけで何も生徒の活動がない講義式の授業。
毎回、こういう光景を見せられて、内心気が気ではない。子供に申し訳なく思うと同時に、自分たちもこういう風に、何も考えず時間を過ごしてきたんだろうよとも思った。
そもそもここまで考える必要はないのかもしれない。結局生徒は覚えていないのだから。
だが、その積み重ねが彼等の未来を壊してしまう、いや壊すではない。
自分たち、教師の頑張りで生徒の可能性などどこまでも伸ばせるだろうと思ってしまう。
要は、教師が子供のために働くだけ、その分だけ生徒は伸びると思っている。この思考回路のため、休暇も心は休暇ではない。私生活もあったもんではない。
こうして駄文を世間にさらしているこの間にも教材研究していれば、生徒はその分伸びるだろう、そう思ってしまう。
それがために、私は今年度でやめる。きりがないのだ。24時間働かなければならないと、考えてしまっていることになるであろう。
一度、教師という重すぎる名前から降りたいと切に思うのである。
教師は、聖職者だ。そうあるべきだ。
常勤講師になりまして10か月
久々の投稿。
また適当に脳内を垂れ流していこうと思う。
あれこれ考えて、整えて形にすることがかなり嫌い。
ここ数日で、やっとまた新しい価値観の下、動けているような気がする。
それは、考えすぎないで行動することだわ。
とやかく言ってないで、やれ。結局、自分が「考えている」と言っていた9割が「逃げ」だった。言い訳だった。と数十年生きてきてやっとわかった。
動きたくないだけ、めんどくさいだけ、先伸ばしているだけ。
今日は、しっかり昼飯を食い、携帯キャリアを訪れ、夜のNOAH配信を見て一日を終えよう。
そして、仕事をすることは至って普通。それがどれだけ時間外労働だろうと、しなければならないことをしないのは、単純におかしい。。。
自由を求めて、ただ権利を求める今の社会の風潮、自分のような何事にも弱い自分には結局足かせだ。
目の前を生きろ、理想に嫉妬して終わるな。そう思う。
非常勤講師300日目
いつもの土日を過ごして、友人と遊びに行くとか彼女と過ごすとかいう華々しい休日を夢見つつ、現実はこうPCに向かい最低限自分ができる無駄ではないこと、日記をつけている。
結局、自分はいつか報われるかどうかばかり気にしているし、夢を見ている。
少なくとも、これを4年弱考え続けている。
たいそうな能力があるわけでもなければ、趣味や特技もない。
人間的におもしろいかと言われれば、全く面白くもない人間であろうと、客観視してそう思う。
最近は、気の利いたことや冗談を言えないことについて悩んでいる。
自分の会話にはまるで波がない。
どこか真核に触れないよう、それもまた平均以下の反応や話題を振りまき、まるで会話に進展がない。
真核というのは、私のような若者で言えば彼女彼氏のいわば性よりの話、仕事の不満、職場の愚痴、自分の頑張りとその評価などその領域を指す。
まず第一に彼女が居ない自分にはその辺の話で盛り上がることができない。
そして人のそういう話を聞くのは耳が痛すぎる、話題として避けたい。そしてこれが一番残念だと自分で思う。
仕事の不満に関しても、自分が抱えた不満は結局甘えで片づけられるのではないか、ただの負け犬の遠吠えにしか聞こえないのではないかという「虞」がある。
そのため、愚痴を垂れるのを心から許すことができないのだろう。
そして、そう考えるということは他人の愚痴にもそのような思考回路をもって評価している可能性があり、それが会話のなかににじみ出てしまっているのかもしれない。声のトーンや間の取り方に。
つくづく自分は頑張っているなあと、自分の中では思いがちな私である。
自分が頑張ったと思う基準が人よりも低いのだと考え始めるようになったのは、大学生のころだったか。
言ってしまえば、自分にあまあまなのである。クソ頑張ったわ~と考えて出した成果というのは、だいたい他人の最低限レベルのものなのだ。
つまり、超がんばってもうこれ以上やらなくともよいだろうと考えたものは、他人からしたら「いや、それ当たり前だからね」で片づけられてしまうわけだ。
これがために、報われないだか皆自分を正当に評価してないだかいうまさしく負け犬のような思考に陥る。まことに残念である。かわいそうな自分だ、よしよし。
だからこそ、こうやって再認識して立ち止まったところからまた上に這い上がる必要があるんだなと、今思う。
日記の良い点は、こういう気づきに偶々出会うことができる点だなと。
つらつら並べたが、今日で非常勤講師300日目だそうだ。めでたいのかなんなのか。
今後の進退について、実はもう決まっている。
別にさらけ出す必要は全くない。
ただ、これからどうしていこうかと、不安ではないがどうしていくのだろうと、ただそう感じる。
正直、ブログに来るまで気分は最悪だった。
いつも通り、Twitterやインスタを適当に眺め、バズっているツイートや人物、顔面やスタイルでウケている人間を眺めては、ああ自分には何があるんだ日頃の残業を積み重ね何が残っているんだ、といわばいつもの自爆を。
まあ、もう解決策は一つ、そういうコンテンツを「目に入れない」。ただこれにつきるのだろう。
もしくは、そんなものを見ても知っても、揺るぎのない自信を持つこと。
それにはバランスの取れた人間が得るべき人間関係と資源、能力に信頼。これがまた困難を極めている。
ああ。今は、蓄えるしかないのだ。悲観的になってそれで終わっては、無能だ。
もう無能で片づけたくはない。
大事なのは「これからどうするか」これに尽きる。
これからどうするか。。。
まずは、飯だ。。。😂😂
非常勤講師296日目(休憩)
何日目という日にちをダイナミックに間違えていた。
正しくは296日目でございます。心からお詫び申し上げます。
初めて一時不停止の罰則を食らった。
全く知らない道だった。
あの不甲斐なさといら立ち、そして情けなさったらない。
もっと取り締まるべき人間いるだろ、なんでこんな善良な()私があれだけの見落としに、罰則2点分と7000円を科されなければならないのだ。。
思い出すとマジでムカついてくるのでここまで。
①一時不停止、踏切等しょうもない交通ルールにもしっかり従うこと。
(踏切の一時停止、マジで負の遺産、形骸化したまったくもって馬鹿らしい、全ドライバーから時間を奪うゴミ制度だからだれか撤廃してください。マジで。)
「人生は長い」
今無意識にそう思った、のでbackspaceせず残しておく。
バリバリ働きたい、最近はずっとそう思って頑張っているところだ。
それも、自分には今それ以外やりたいことがないからだ。
いざ休日をもらっても、特にしたいことは正直ない。
友人にも平日には会えないし、彼女もいない。
どこかに遊びに行くにしたって、このコロナ、そもそも遊びに行くという選択肢は無い。
ドライブにしたってものの1時間もあれば満足だし、そもそも目的地があるから楽しいのであって、あてもなく彷徨うのは面白くない。
そういえば言っていなかったが、そもそも自分に趣味はほぼない。
漫画、映画、アニメ、ドラマ、ゲーム。全部いらない。
学生の時はゲーム、友達とスマブラやったなあ。ポケモンも超好きだった。グラセフなんかは目からうろこの過激なゲームだった。カードもデュエマに遊戯王、あいつらと気がくるってんじゃねえかってくらいやった。
いつからか、それらの娯楽全般に「時間の浪費物」「人生の無駄遣い」までにその烙印を押している自分がいる。
これが良くも悪くも、「大人になった」と言わざるを得ない。
その点で、「人生は長い」なと感じる。
あんな自分も、小学校の自分も中学校の自分、高校の自分に大学の自分。彼らすべて自分なのかと。にわかに信じがたいが、彼らすべて今このPCの前にいる自分だ。
自分はよくわからなくなる。本当にああやって生きていたのか。どんなふうに自分は周りに映っていたのだろう。
今思えば、自分には人並みの自我はなかったのだろうと思う。
それがため、私はとても有意義でとても楽しい学生時代を過ごすことができた。
思い返しても、まずは楽しかった。その感想が第一に舞い込む。
ひどく人生に疲れている中学生や高校生、下手をしたら小学生をたまに見かける。
彼らは自我が発達しているのだろう、周りの置かれている環境や人間関係を深く観察してその不条理や真理を彼らなりに理解しようとする、その毎日からくる「疲れ」なのだろうと。
まず彼らには、自信を持ってもらいたい。その若い時期に本気で悩めるということは、確実に自分と周りをよく理解している証拠だということを。そういう人間は大人になってから真価を発揮するだろう。
人はだれしもどこかで打ちひしがれるのが大体であろう。よっぽど突出した資質能力がない限り。それをいかに早く経験するかで、社会で楽に生きられるかが変わってくると、自分はそう思う。
自分は最高な学生生活を送ってきたが、大学生時代はクソだと言い切ってしまってもよいくらい「疲れ」てしまっていた。多額の学費を納めてくれた両親には感謝しかない。頭が上がらない、あの二人には。それにしても、クソだといえてしまうくらい自分は、打ちひしがれた。
人間関係に体の不調。勉強への意識はまるでなく、周りの環境に不満をたれてばかりのどうしようもないクソ人間であった。
起きたい時間に置き、出るべき授業をすっ飛ばす。寝たい時間まで適当にスマホ、期限付きの提出物は常にその日の夜中から始め最悪の出来で提出。いつもなにかにおびえながら、不満をいだきながら、ねたみながら生きていたように思える。そうなれば、もちろん一人の方が自分にとってもよかった。そこでは、やはりYouTubeが大体を占めた。
そんな自分にも幸い親しい友人が数人いてくれた。彼らといるときは心から楽しかった。受け止めてくれる彼らがければ、絶対に大学なんてのは辞めていたであろう。そして家族は言わずもがな、皆がいなければ確実に遠くに行っていた。時に本気でそれを考えたこともあったのだが。
ここで陰ながら最大級の感謝を伝えて置く。本当にありがとう。
とにかく、どんな自分も自分であると結論付けたい。
今最悪な状況に陥ってしまっている人には是非、生きてもらいたい。ただ生きるだけでよい。
どれだけ自分が不甲斐なくても、他人から言われようとも、責められようとも、とりあえず生きる。
何から逃げてもよい。全部捨ててもよい。全部投げ出しても、全く問題ない。
大事なのは自分。自分一人だ。
自分はいくらでも変えられる。私もどん底まで落ちた人間だ。その私が言う。
落ちて落ちても、振り返れば過去だ。
明日の勤務が楽しみで仕方がない。そんな状況だ。
とりあえず、息を続ければいつか好転する。
これだけは言いたいので。
AGA治療42日目
フィナステリド服用6週間目。投薬のみの治療だ。
結論から言おう。何も変わりはしない。
逆に気になる一方であるよ、助けて~
食生活にも気にかけているし、生活習慣も決して悪くはない。
0時~1時半には寝、7時には起きる。
飯は三食。野菜も存分に摂るうえ、タンパク質は特に気にかけて食べるようにしている。
タバコや酒は一切嗜まない。
毛染めなんてもってのほか。
シャンプーも、頭皮に優しいなど謳っているものを使っている所存だ。
一つ挙げるとすれば、ストレスか。
ストレスは本当に多いと思う。ほっとに多いと思う。
この一年間、自責の念と不甲斐なさ、存在価値まで考えに考える時間を過ごした。
大学生から一転、大先輩の大勢いる職員室、生徒と言えど他人で一人の人間それらが数百人と平日は常に顔を合わせコミュニケーションをとる。
もともと友人は狭く深くだった自分だ、言ってしまえば地獄そのものである。
人間関係の面で相当な、いや計り知れないほどのストレスを抱えたであろう。
それだけではない、単純に労働時間も長い。単純に肉体面でも体に負荷がかかりまくっている。
急激な環境の変化に、変化した先が誇張すれば地獄。
最後に、このコロナ禍である。
。。。。
そりゃ禿げるわ。
。。。。。
23歳だけど。。