非常勤講師300日目
いつもの土日を過ごして、友人と遊びに行くとか彼女と過ごすとかいう華々しい休日を夢見つつ、現実はこうPCに向かい最低限自分ができる無駄ではないこと、日記をつけている。
結局、自分はいつか報われるかどうかばかり気にしているし、夢を見ている。
少なくとも、これを4年弱考え続けている。
たいそうな能力があるわけでもなければ、趣味や特技もない。
人間的におもしろいかと言われれば、全く面白くもない人間であろうと、客観視してそう思う。
最近は、気の利いたことや冗談を言えないことについて悩んでいる。
自分の会話にはまるで波がない。
どこか真核に触れないよう、それもまた平均以下の反応や話題を振りまき、まるで会話に進展がない。
真核というのは、私のような若者で言えば彼女彼氏のいわば性よりの話、仕事の不満、職場の愚痴、自分の頑張りとその評価などその領域を指す。
まず第一に彼女が居ない自分にはその辺の話で盛り上がることができない。
そして人のそういう話を聞くのは耳が痛すぎる、話題として避けたい。そしてこれが一番残念だと自分で思う。
仕事の不満に関しても、自分が抱えた不満は結局甘えで片づけられるのではないか、ただの負け犬の遠吠えにしか聞こえないのではないかという「虞」がある。
そのため、愚痴を垂れるのを心から許すことができないのだろう。
そして、そう考えるということは他人の愚痴にもそのような思考回路をもって評価している可能性があり、それが会話のなかににじみ出てしまっているのかもしれない。声のトーンや間の取り方に。
つくづく自分は頑張っているなあと、自分の中では思いがちな私である。
自分が頑張ったと思う基準が人よりも低いのだと考え始めるようになったのは、大学生のころだったか。
言ってしまえば、自分にあまあまなのである。クソ頑張ったわ~と考えて出した成果というのは、だいたい他人の最低限レベルのものなのだ。
つまり、超がんばってもうこれ以上やらなくともよいだろうと考えたものは、他人からしたら「いや、それ当たり前だからね」で片づけられてしまうわけだ。
これがために、報われないだか皆自分を正当に評価してないだかいうまさしく負け犬のような思考に陥る。まことに残念である。かわいそうな自分だ、よしよし。
だからこそ、こうやって再認識して立ち止まったところからまた上に這い上がる必要があるんだなと、今思う。
日記の良い点は、こういう気づきに偶々出会うことができる点だなと。
つらつら並べたが、今日で非常勤講師300日目だそうだ。めでたいのかなんなのか。
今後の進退について、実はもう決まっている。
別にさらけ出す必要は全くない。
ただ、これからどうしていこうかと、不安ではないがどうしていくのだろうと、ただそう感じる。
正直、ブログに来るまで気分は最悪だった。
いつも通り、Twitterやインスタを適当に眺め、バズっているツイートや人物、顔面やスタイルでウケている人間を眺めては、ああ自分には何があるんだ日頃の残業を積み重ね何が残っているんだ、といわばいつもの自爆を。
まあ、もう解決策は一つ、そういうコンテンツを「目に入れない」。ただこれにつきるのだろう。
もしくは、そんなものを見ても知っても、揺るぎのない自信を持つこと。
それにはバランスの取れた人間が得るべき人間関係と資源、能力に信頼。これがまた困難を極めている。
ああ。今は、蓄えるしかないのだ。悲観的になってそれで終わっては、無能だ。
もう無能で片づけたくはない。
大事なのは「これからどうするか」これに尽きる。
これからどうするか。。。
まずは、飯だ。。。😂😂