非常勤講師になった一般人

新卒非常勤の脳内を垂れ流します

教員が行きつく先

今年度でやめさせていただく。

 

理由は単純に、務まらないからである。

教員たるもの、生物的に強くなければならないと思う。

 

秀でた能力もなければ、人を惹きつける何かもない。

 

専門性もなければ、技術もない。

 

昨今、教員の質低下が嘆かれているが、まさにその通りである。

優れた先生は1割ほどと、同業者から言わせていただきたい。

 

教員は、生徒が第一、自分の利益よりも他人の利益を全うした人間がなるべきである。

労働時間、残業代0、部活顧問問題、今日の教師は何もかも求めたがる。無論、自分も不満ばかり垂れている不届きものだ。

 

自分ができる最大の社会貢献は、愛情の足りない子供たちに愛情を注ぐことだと考えている。教師は、姿をもって教えられるようないわゆる完璧な人間が好ましい。取り繕う毎日に疲れてしまった。

 

私のようなドロップアウトする教員の行きつく先は、結局教育関係なのであろう。

大学からずっと教員になるためのプログラムを専攻して、皆免許を取るのである。

 

適当に、留年ぎりぎりのようなダメ大学生でも免許が取れた。そして、教員は全国的に不足、教員採用試験に落ちようとも非正規職員として即採用される。採用試験後の帰り道に、「講師募集」と書かれたチラシを渡されるほど、教員は求められている。言ってしまえば、免許があれば、よっぽど人間を外れていなければなれてしまうのが、教員。公教育だろうと、関係ない。

 

私は最近、一日のうちに3度ほど死ぬ。脳内で、人間が代わる、考え方が一新されてしまう。それほど、脳内は忙しい。もはや、一週間前の出来事が本当にあったのかとさえ、最近思える。手帳には確かに自分の筆跡で、なにやら書いてあるのだが、にわかに実感しがたい。

 

今生きているのは、過去か未来か。今を生きたいのなら、さっさと眠りたい。ただ、教員の行きつく先は、なんの資格もないでくの坊である。蓄えるため、社会的に強くなるため、今日も未来を生きる。