非常勤講師になった一般人

新卒非常勤の脳内を垂れ流します

非常勤講師17日目

どもこんばんは。今日は本格的に自分が何かしらの対人障害じゃないのかと思った一日でした。なんといってもまず職員室に居ることそれだけでストレスなのです。皆さん学年の先生ごとに集まって席を与えられているわけですけど、視線とか気にならないんですかね。パソコンをいじってたってふと前を見るとそこにはもちろん先生がいるわけで。どうもそのシチュエーションにいつまでもなれることができないのです。それだけでなくて、自分の席は人通りの多い場所ですから、誰か歩いてくるたびに注意がその歩いてくる先生に行ってしまうのです。しかも、それを悟られまいと意識することでよりいっそ変な構えになってしまいます。それだけにとどまらず、今度はたわいのない会話にも影響が出てきています。年上の先生方と話すとき、先生方はとても明るく、なかなかの頻度で軽い冗談を交えてくれるのですが、どうも自分の返しがずれているのです。せっかく会話に調子をつけようとしてもらっているというのに、しょうもないずれた返答しかできない。対人スキルは人並みにあると自負していた分、ここ数日になって自分の認識と現実のずれが激しい。なにか自分の中で変化してきたのか、それとももともとこの程度だったのか。真相はわかりませんが、とにかく自分の融通の利かなさに、能力のなさに愕然としてしまいました。ここ最近特に緊張状態が続いているような気がします。考えられるのは、読書にそそぐ時間がぐっと増えたからでしょうか。本を読んで知識を蓄えたとしても、目に見えた形で活用されなければ全く外見は変わらないですよ。そりゃ、頭の中で劇的な変化は遂げているだろうと、無意識のうちに価値観レベルで変化はしているはずだという自信はありますが、はやり使える知識学びがほしいところです。こんなこと言って、読書生活3日目なんですけどね。今日読んだのは、『学校を改革する』ですね。日々学ぶことがありますね。この本には「授業を公開しない教師は教師失格だ」「学校の会議などではただ声の大きな人間が指揮をとり、一度も発言しない者が大半であり、聡明な心持を持った教師はいつも物静かなものである」など強烈な指摘や「学力向上は二の次で、それを目標にしないことが近道」「基本→発展ではなく発展→基本が学びの流れ」など今まで見えなかった視点が満載です。研究授業の評価についても、ただ良し悪しを集うのではなく、「学び」に着目した評価をするべきだと。どこに学びの要素があり、どこにあると良かったのか、あるいは存在しなかったのか、その観点をもってして議論を行うべきだそうだ。

今後に活かせることとして、一つ一つの授業に確実に学びの要素を盛り込むこと、さらにはその学びの種類も「共有の学び」と「ジャンプの課題」の二段構えを必須とすること。また、どの教員に、どの保護者に見られても良いと思えるような授業を作る。現時点では授業すら構成できていない。それには理由があり、まず単純に創り出す力がない、つまりは専門性が圧倒的に足りていない。また、成功体験が少ないために漠然と作りたくないのだ。ただ、教師たるもの教科を教えられなければ、存在してはならぬ。今すぐ学校から去るべきだ。だが、それは自分が食い止めるしかない。毎日、自他ともに認めらるような授業を作るべく知識の蓄積に、実践を重ね形にしていくまでだ。今は、辛抱の時。皆もそうがんばっている。明日も明日とて愚直にあの紙媒体の世界に乗り込んでいきたい。

5:20 ふと目が覚める。起き上がってすることも特になく二度寝

6:40 二度寝後の寝起きはたいてい悪い。

7:40 出勤

8:05 到着

~11:25 会議。たまらんわ。。神経すり減らす。

~12:30 昼飯。目線のやり場に困る困る。食った気がしない、どうしよう。逃げ出そうか。

~13:40 神経のすり減らしにより、居眠り。割と回復。

~15:15 あまり集中できなかった。読書。不調。

~15:40 休憩。

~17:05 高集中の中の読書。最高だね。疲れない秘訣は姿勢と呼吸。エクササイズを覚えようか。

~18:05 音楽聞きたいがために遠回り、病院からの帰宅。

~22:10 飯→風呂→だらる、現在。ちなみにタイプし始めてから1時間ほど経過。一分間に26文字という驚異的遅さ。だらりながらやっている証拠だな。疲れは正直。

ではまた明日。