非常勤講師になった一般人

新卒非常勤の脳内を垂れ流します

非常勤講師273日目(23歳コロナ禍諦観)

プロレス観終え満足感とともに虚無感。SNSに使われるな。所詮文字列。結局このコロナ禍で会うまでの段階に入れるはずもなければ、そもそもそんな人間と会う気概は自分にはないだろう。小中高大とごく限られた人間としか仲を深められなかった者がそんな蛮行ともとれる思い切った行動に走れるわけがない。

そもそも自分は実に生き方が下手だ、常に葛藤している。完璧主義なくせに怠惰でどうしようもない。常に迷いがあり、常に改善策を練りつつ目の前の現状はまさしく平均以下。

残念で仕方ない、悲しいむなしい。そして寂しいのだ。

結局これにつきる。つながる人間が居なくて寂しいのだ。文字にもしたくないが、そうだ。

誰とでもつながることのできるSNS時代でも、自分は動き出せない。根っからの日本人だ。

 

自分はそう鬱だろうと感じる。向上心に燃えるときもあった。その感覚も覚えている。だがこの正月ボケした脳みそが停滞を望んでいる。動きたくないし考えたくない。文字なんて見たくないし、去年を振り返りたくもない。上司にも同僚にも会いたくない。授業は全然できてない。作りたくもないし、教室で一人話す自分を思い浮かべては、通勤したくないと切に思う。停滞したいわけでもないが、働きたくはない。

 

こんな人間が、クソガキが社会に出て、授業を担当している。この現実が成立してしまう時点で、もう日本はまさしく劣化の未来をたどっている。教師も、もちろん熱意のある人間の方が多いが、自分のためだけに教職を続けていることがある。

というか、教師に限らず、しょうがなく仕事している人間であふれているではないか。(教師は職業柄、特にそういう心持で働くことは罪であることは明白だが)この現状から察するに、ベーシックインカム論に納得せざるを得ない。働きたく、現状を変えたく、人間社会のために動きたくある人間が働くべきである。それ以外の人間は、限られた生活できる程度の金銭をいただき普通に生活すればよい。

 

こんなぼやきが自分の周りの人間に見られると考えると、申し訳ないでいっぱいである。こんなたわごとをわけのわからないサイトにつらつら並べているという事実現実。申し訳ない、こんなしょうもない人間になってしまって。

 

自分が言えることは、とにかく人と関わること。人を選ばず、素直に生きること。これが大前提であった。それを身落としていた。

ひとは一人では生きていけない、これは本当だったわけだ。

あとは確固たる目標を持つこと。

「勉強するのは良い大学に行って、高収入な仕事に就くため」

明らかな洗脳だった。残念ながら、失敗である。なんてかわいそうなのだろうか、こんな言葉に乗せられせっせと、使えもしない文字列をただ暗記させられ中高過ごした自分。

人は勉強するというその行為、時間に意味があるのだと説くが、残念ながらそんなものは詭弁である。ものはどうとでもいえるな。そんなものは後付けなんだ。

 

中高生にはぜひ、世界の働く人間の実生活を勉強してほしい。自分がなりたい人間像をなるべく早く見つけることだ、これに尽きるんだ。後から専門職、アスリートなど、年月がものをいう職業には就けない。

そもそも短時間でかっこよい人間、魅力のある人間にはなれない。

そもそもこの世界、他分野で活躍する人間が残した結果現実に触れる機会が多すぎる。

彼らが輝くのは、苦しい日々があってこそ。YouTuberがクソ稼いでる、その裏にはそもそも金目当てに活動してはいなかった、毎日長い編集時間寝る間も惜しんで。そもそも毎日同じ作業をすることがいかに難しいか。

気分で生きる、これが一番の罪である。何も成し遂げることなく、平均以下の出来栄えで生き続ける。

まさしく私だ。罪の塊である。

責めることに疲れた、これからも続いていくだろう。

能力のない人間が様々な正解、理想論、成功者を観ることは地獄だ。現実と妄想のはざまで揺れ続け、苦しみ続ける。こんな23歳だ。

明日からまた勤務が入る、半日程度。

特にやる気もない、眠くもない、やりたいことはない、こんな自分が罪。がんじがらめ。

助けてくれ。これが一番言いたいことかな。