非常勤講師になった一般人

新卒非常勤の脳内を垂れ流します

夢が教えてくれた「陰キャ」「陽キャ」思考の弊害

 

さっき、超うなされて起きたわけなんだ。夢の内容が凄惨そのものであったわけだ。その内容は、中学の部活仲間が次々私を攻撃してくる止めろと何回も叫ぶ自分に容赦なく詰め寄る、また目の前で自分の腹に銃を打ち込む者。その他、断片的な夢の記憶はあるが、それら全部に思い当たる節があるのだ。。自分はいわゆる中学時代「陰キャ」と呼ばれる階層に位置していたと思う。学校のその手の話に疎いどころか興味存在すら知らず、すなわち性への欲求なんてものは存在していなかったし、大勢からの他人の評価なんていうのも全く気にならなかった(認知できていなったというほうが正しいか)。言い換えれば、自我の目覚めがとりわけ遅かったわけだ。その集団には自我が目覚めていないものが集まっていると考えられる。周りの評価を気にせず、ただただ身内が楽しいノリがまかり通っている状態は、他人から見てみるに堪えない。そういうことをやってのけてしまうのが「陰キャ」の特性の一つであるかなとも思う。

そういう自分であったから、当然周りの中学時代の友人もそういう類の人間である。そんな友人らの大半は今もその「陰キャ」感満載なのだ。自分は高校生になってから「陰キャ」と一部から言われるようになった。それは次第にコンプレックスになっていった。そしてそれが意味するのは、「陰キャ」であることは恥ずかしいということ。つまりは、「陰キャ」である中学時代の友人らは恥ずかしい、一緒に遊ぶ居るということは恥ずかしい、という感覚に陥るようになった。

それがために、中学自体の人間と疎遠に、次第に逃げるようになった。年を重ねても、見た目に全く気を配っていないような容姿服装にとても嫌気がさした。一緒にいるのが恥ずかしい。本当にそう思った。だから、関わりたいという気持ちは跡形もなく消え去った。そのため、連絡など来ても適当にあしらうようにもなった。自分は、興味がある人間とは頻繁に連絡を取りたい。もちろん、そういう人間から連絡が来たらルンルンで返す。そんな自分が、返信をおろそかにするということはつまりはそういうことなのだ。

その、連絡を定期的によこしてきていた中学時代の友人に、夢の中で執拗に詰め寄られ殴られたわけだ。本当に恐怖を感じた、あの形相が今でも思い出される。

また、関連の話として自分が「陰キャ」にコンプレックスを抱き始めたころ、無理に「陽キャ」につるんで仲間入りしようと試みた。「陽キャ」とうまくコミュニケーションが取れた時なんていうのは、とても生物的な喜びを感じた。そのような状態が高校生時代には常在した。がしかし、大学生中盤あたりからなにかに気付き始めた。そう心から「陽キャ」のノリについていけない自分がいることに。他人を出しに笑いを取る、振り切った下ネタや冗談、友人関係を裏切ってでも女を求める、そんなあいつらと関わることに嫌気がさしてきた。そして、一つの危機的状態に陥る。そう、「陰キャ」に対してコンプレックスを抱いてる自分と「陽キャ」には賛同できない自分。つまりは、自分には明確な居場所がないともいえる状況に陥ってしまった。これは苦しいものがある。これらの精神は人と関わるときのある基準となりえるが、その基準に従うと、大多数が検閲に引っかかる。関わりたい人間が限られてくるわけだ。実際問題、LINEの友達数は20以下だ。こいつは嫌い、関わらない、どうでもよい、馬が合わないなど多くの基準に従った結果だ。そしてそれが招いた結果に、時に悩まされる。孤独を感じることが多くなった。もともと「陰キャ」だった自分は、みずからその存在にコンプレックスを抱き、やがて嫌悪の対象に。そして「陽キャ」と思惑的に関わるようになるが、結局心から馬を合わせることができない。つまりは、よく聞く歌詞でもある「どこにも行けない」状態である。この手の表現の根底にあるのはこういう構造であると、最近結論づいた。どうだろうか。