非常勤講師になった一般人

新卒非常勤の脳内を垂れ流します

日記8日目

お久しぶり、これで証明されたが、継続できるできないでその人が成功するかしないかは大きく左右される。この身をもって証明しよう、継続は明るい未来のためには必条件だ。ここ最近、大学の最後の集まりや二次会、それから体調不良に最後のアルバイトと、何かと理由をつけて日記を書くことをやめていた。できる人間はどんな状況にあろうとも、自分の決めたこと言ったことに責任をもって、それをやり遂げる。が、自分にはそれがないのだ。この能力の欠如は痛い。とにかく、総括いこう。

22日

17時 Rの家に着く、家賃6万だそうだが、会社からの保証が3万出るらしい。良い待遇だな。

17:30 会場に向かう。KとRはだるいだるいと言っていた。とか言いながら、差化するのはお決まり。あの二人は一緒に居て本当に気が楽だ。こういう友達がいると良い。

17:50 会場に着く。あのヒトは来てなかった、正直あのヒトに会うためだけに参加したといっても過言でない。が、まあ仕方ないかと、悲しみを隠しきれずに開始を待つ。男女分かれて集まる姿は今までの教育法のたまものだなと、大学生になって大人になってもなお、この感覚遅れているといわれればそうでしかない。

18:00 開始の挨拶が始まった。全く関わってこなかったあいつらが頑張っている、こちらも適当に拍手、笑顔。お決まりです。あの子がいない女子陣もはやなんの興味もなく、ただ仲良い奴らと話す。適当に写真も撮った。これが最後かと、先生も参加できず、これは何の会なんだと。皆の写真を一つにまとめたスライドショー、あの子が映ると目をそらした、それくらいの思い出しかない。まあ、本当にこれといった感想はない。

~20:00

20:45

~23:30 最後なので二次会もほぼみな参加。ここでは皆の楽しそうな笑顔が見られたので、良かった。因縁のあいつとも適当に話をするくらいのことはした。酒は全く飲めないのだけれど、今日は頑張った。やはり、気分は高まる。顔が病的に赤くなるのがとてもいやなだけで、飲めるっちゃ飲める。まあ、女子陣とも久しぶりに話した子もいて、酒の場はなんだかんだ楽しいもんなんだと、拘って避け続けるのもやめようと思った。

24日

0:30

~5:00 

大学最初に、グループで仲良くしていた9人と久々にカラオケ。感想から言うと、本当に最高だった。みなで大合唱。愛の手を入れるやつ、あおりを頻繁に入れるやつ、音痴を一人で歌わす流れ、受けをとる歌い方がうまいやつ、罰ゲームで飲みまくるやつ。言葉にする必要のないあの感覚景色、なれない酒に浸りながら盛り上がるあいつらを前にしたあの景色が、これからは見ることができないのかとふと考えた。

思えば、まさにその彼らがいやになって離れたのは自分だった。周りの客らに迷惑をかけ馬鹿騒ぎ、酒も嫌いだった自分は酔った彼らになじめるわけもなく、うるさかっただけのあの大学3年のカラオケを最後に勝手に彼らと決別した。

だが、久しぶりに彼らと過ごし歌った。あの空間は正直最高だった。大人ぶって、かしこぶった自分。もう一度戻って、固まった硬い頭を入れ替えてやりたい。結局のところ、ないものねだりなのかもしれない、けど、やはり人間関係は結局大事なんだ。なんて、のども限界眠気マックスの午前五時、3つほど離れた空のカラオケルームにお邪魔し、横になりながら考えていた。

起きると6時、EとKがたっていた。大丈夫か帰るぞと声をかけた。ワインもしっかり飲み干されていて、さすがだなと。最後に写真を撮ろうと、皆で集まった。これが最後かーとなんとなく寝ぼけた頭で考えた。一枚、二枚、三枚。最後に変顔をと言われ撮った。後になって、変顔写真を見た。最高の写真が取れていた。もう、本当に良い思い出になったと今でも感激している。あいつらの変顔は実に愛らしい。顔がにやけちまう。

眠気眼の中、午前六時半。皆で建物をあとに。外は超明るかった。徹夜越しの朝日ほどきついものはない。まだ朝なのに、Hは畑でぬいたら後日血が出てきたなんてわけのわからない下話をしていたが、ああこれも一興だなと感じた。

10人ほど引き連れての一行は名鉄組とそれ以外でまず分かれた。別れ、しばらく会えないねと眠いので実感できず分かれた。

Rの家に到着、コンビニによっておのおのかいものする。Kはそばを買ったらしく、「しみるわ~~生き返る、のめのめ」なんていつもクールなあいつがそんなことを言っていた。ほほえましい。

ただ自分はなんと8時からバイトだったので、彼らが寝ると同時にバイトへ出発。コーヒーもぶち込んで、なんだかそんなにつらくなかった。

彼らと握手をして、しばらくの別れ、あの最後は忘れない。みな、ほぼ教員の道に進むので心強い。

 

26日 

9:00 起床

~9:45 メルカリ・メモ

~11:00 だらける、行動開始。

~15:00 倉庫の片付け。自分は過去にこだわる傾向があり、何かとものをため込む習性がある。その集積物が最近、抱えきれないほどになって、離れの中を片付けようと動き出していた。今日は妹二人を巻き込んで、これまでかかえこんでいた思い出の品を一掃しようとしたのだ。

咳が出る中、体調はあまりすぐれなかったが、今日はやけにやる気だった。(書き込んでいる18時半、飯も食わずなにか居ても立っても居られない気分に襲われている。やけに追われているまで感じる。これから母と妹で買い物に車を走らせようとしているのだが、変な事故を起こさなければよいが、、)

結果、小さいころから今までのまさに「恩物」たちはとても懐かしかった、そして、こんなにもものを与えてきてもらったのかと感動してしまった。懐かしいおもちゃたちはほこりまみれだったが、ワクワクがとまらなかった。ここで考えたのは、小学校周辺の記録物があると純粋であろうとする、良い子であろうとせざるを得ない状態がたもたれるのではないか。何を言っているのかわからないが、要は、過去の純粋な自分としての作品が、悪に染まろうとする機会に遭遇するのを避ける、またはそれを跳ね返すのではないか。

まとめると、過去の集積物は未来を縛る。良い点も悪い点も。

性に対し、嘘をつくことに対し、騙すことに対し、金に対し、きれいであろうとする自分はある意味、教育的に「成功」であろう。しかし、綺麗であることで、ようは綺麗はつまらない。行ってしまえば。何に対してもよくあろうとすることで、何も思い切ったことができない。平均に身を保とうと、いや保てという、教育方針にまんまと乗せられてきたのだ。まさに、成功である。

これから、生徒に求めるのは「個性」。いろんな側面に触れてもらい、感じてもらう。中学生は感覚で生きてほしい。それだけだ。思い返して、何か強いもの思い出が残ってくれればそれで。自由に。