非常勤講師になった一般人

新卒非常勤の脳内を垂れ流します

青年期と成人期の溝からお届け 非常勤講師20日目

どもこんばんは。今日の天気の良さといったら、たまらんかった。まさに雲一つない晴天。緑が一層照らされて、川の流れはきらきらと映って、気温もちょうどよい温かさを感じた。ほんと人間単純なもんで、こんな晴天になられたら眠たくても車を走らせたくなっちゃう。いてもたってもいられなくなり、ドライブに行ってきました。

6:50 散歩にたたき起こされる。疲労マックス。快晴の下、半分寝ぼけた状態で歩く。今思えば、もっとあの快晴を味わっておけばよかった。

~9:30 5日間学校に行っては読書の日々だったため、反動でかつての大学生時代のようなだらだら時間を過ごす。やはり賢くやるべきこととやりたいことを毎日に分散させることが一番良いんだろうか。

自分の癖として、テスト期間には携帯・外出一切禁止、勉強のみ。普段はその逆のように、極端に

しがちでその分、反動がでかい。賢く生きたいが、もともとの自分がふがいなさ過ぎて。弱気になってしまうよ、言わせておこう。

~13:40 ドライブ。きままに、普段なら右折左折しているような道をずっとまっすぐ突き進んだりした。途中ふと前の車の行くように、左折し細い道までついてみた。そこで、気の向くままに進めると海が見えてきたのだ。

突然堤防にでて、真っ青な水面が目に入った。久しぶりに見た青さに直感で海だと感じて車を降りた。潮の香りを運んだ風に吹かれ、堤防を降りると一定リズムで波が打ち寄せていた。あんな快晴なもんだから、もうあの青さと言ったら。まさしく別世界であった。あんなに広く、青一面に広がる光景が目の前に映ろうとは。

あのまま整備された大通りを直進していたら間違いなく目の当たりにしなかった世界。どこか導かれたかのようについたあの地にどうしても運命なんて、大それた言葉が浮かんできて、ナビのマップに旗を立てた。

堤防沿いを徐行。深い青浅い青、引いてできた砂浜に、対岸の木々、群れて優雅に浮かんでいる鳥たち、煌々と照らす太陽、上を見上げると一面の青空。

世界は広い。たかが数十キロ離れた県内の世界に、まさに心打たれた。いつかまたここを訪れよう。自分の思い詰めていた目の前の牢獄。少しの時間と気概があれば。ぱっと晴れてくれるお天道様に従えば。私たちはどこへでも行ける。

 

少しばかり離れた、なにげない光景にお邪魔してみてはいかがでしょうか。

 

~21:42

今日は久々に時間を持て余し適当に使った。それもまた、それでいいのかもな。ドライブのおともに [Alexandros]の最新DVDを選んだ。終盤、彼らは数万人を収容するさいたまスーパーアリーナでライブを開催したにも関わらず、まだまだ満足していないと声高らかに言っていた。毎回彼らの底なしの向上心、世界一という巨大な目標に貪欲な姿にはいつも励まされる。

しかし、ふと思った。さいたまで満足できないという感覚は凡人には理解しがたいから偉そうなことは言えないのだが、さいたまで満足できないその現実は果たして、どうなのか。発想の転換によれば、彼らは世界一になるまでその「今」に満足できないということになりやしないか。常に「未来」へ目を向けるすなわち「今」はあくまで通過点だと。感情の部分に他人がとやかく言うのは、本当にずうずうしいなと我ながら思う。こんなのは日理屈か。

そんなことはさておいて、さっきまで過去に戻っていた。3年こじらせている、あの人とのうまくいっていたときのLINEを、このこじらせ期間の間で初めてさかのぼった。途中でやめてしまった。心臓が持たなかった。こんなにもあの人と写真を共有していたのかと、我ながら誇らしく思った。よく仲良くやれていたもんだ。

こういうときには毎回深い後悔の念に駆られる。なぜ自分の思いを伝えなかったのか。それに尽きるのだ。

LINEのさかのぼりは、正直言って最高でとてもスリルがあった。あの時の光景が断片的に想起された。ふと画面から目を離すと、数年たった今現在、時計は21時50分。今は、今である。瞬間的に、こんな現実いらなくないかなんてポツリと頭に浮かんだ。秒針は容赦なくてっぺんを駆け抜けていった。

止まっている自分を置いて。