非常勤講師になった一般人

新卒非常勤の脳内を垂れ流します

思い出の品々は非行に走る少年を食い止める 非常勤講師21日目

こんばんは。休日はすぐ過ぎていきますね。特に何をやったわけではなく、時間だけが過ぎていきます。いっそ、休日はいりません。大好きなカラオケにいけるわけでもなく、好きな人に会う以前に好きな人はいないし、会いたい友達は県外だし、気づいたらもう20時半だし。学校に行って頭使って知識を蓄える毎日が続けばよいよ。

今日は少しの間片づけをしていた。場所はカレンダーが2005年のまま止まっている部屋の押し入れ。その止まった空間で、OasisのWonderwallをかけ始めた片付けはエモすぎた。こういう空間のまま残す、なんてこともありなのかなと思いながら、押し入れを掘り進めた。

直に私の小学校時代の作品たちが出てきた。版画や交通安全ポスターなどもろ思い出の品って感じのものがボロボロ出てきた。

まあその仕上がりの雑なこと。

左に車、右に携帯、携帯には赤く罰点が。「ながら運転はダメ」

だって。なんてテンプレートな作品でしょう。笑ってしまった。

しかし中でも惹かれたのが、5年2組OOOOと書いてある日記を発見。この手の日記は特に好きだ。今こうやって毎日を記すくらい、日記の読み返しに多くの期待を寄せている自分からして、5年生の日記など宝物に近い。

めくっていくと期待通りの出来栄えであった。そこには当時仲良くしていた幼馴染二人を中心に日常が記されていた。ひろば、キャッチボール、ビンゴ大会、ボウリング大会、6年生を送る会、飼っていた愛犬の名前ゴロ。

まさしく求めていた、過去の日常の一ページ。あの、一心にページをめくる時間は本当に特別で、そしてふと目の前に焦点がいくとき、目線がまさしく成人の高さを感じるとき、そのギャップを訂正しようと、現実を再認識するまでのちょっとの脳内の空間がたまらない。これだから日記はたまらん。

そして、こういう定期的な自分の過去とのすり合わせが善人であろうとする気概を保たせていると感じる。私にはたまたまこのような思い出の品を処分しないという親の考え方とその品々を置く十分なスペースがあったから恵まれていたといえるが、これらが揃わない条件下では、だいたいの家庭では思い出の品なぞ残していないだろう。

思い出の品は、まさしく善人への道を支える。純粋無垢な過去の自分を裏切りまいと不甲斐ない今の自分を軌道修正させてくれる。

他人に「道を踏み外すな」と言われるよりもっとも効果的であろう。世の親御さんはこの方法をとってみては。

とにかく、片付けは案外楽しい。特に使えそうな新品のタオルなどは燃える。まるで小銭を発見した時のような少しばかりの幸福感を得ることができる。