非常勤講師になった一般人

新卒非常勤の脳内を垂れ流します

非常勤講師288日目(授業大成功)

授業が超うまくいった。すべてのクラスで自分の求めていた反応と、内容の詰まった構成通りに進めることができて大満足だ。えらく自画自賛がすぎるが、それくらいとても手ごたえを感じることができた一日だった。

 

①非常勤は授業がうまくいけば、自分の存在価値を自ら肯定できる

 

毎日24時ごろに就寝、5時半にアラームをかけ朝から1.5時間ほどのモーニングタイムを満喫しようともくろむのだが、いつもだらだら7時まで布団で格闘している。

 

最近は毎日ぬいている。だが身の回りに惹かれる人間は残念ながら居ない、女優様様だいつもありがとうございます。

 

教材研究、授業づくり、真剣にやってみるとなかなか楽しい。

あの一人の時間がたまらない。それでいて、その時間は教師として必ず必要な時間。あの研究の時間は自分の将来のためであり、生徒のためである。

生徒のためにしていることが、自分の脳にも知識として経験としてため込まれる。

そして準備のある授業は、確実に悪いものにはなりにくい。

授業づくりの時間は、今の自分にとって最高打点を叩き出し続ける黄金の時間だ。

 

今の自分に休息はいらない。十分な睡眠さえあれば、冗談抜きに学校に居続けてもよい。

今日は本当に自分の今の境遇、教師として働くことができていることに、初めてと言ってよいほど感謝を感じた。

この感覚は記さなければと、奮起した次第である。

 

それもこれも、すべて周りの助けてくれる存在のおかげだろう。

家族に友人、先輩に同期。自分の周りには善人が多い。本当に感謝するべきであり、現に感謝してやまない。

 

②身の回りの人々に感謝。そして何不自由のないこの便利な世の中にありがたみを。

 

飯もうまい、体もいたって健康。仕事も楽しくなってきた、まだまだ頑張りたい。

人は言うだろう。

井の中の蛙大海を知らず」

確かにそうかもしれない。

楽して荒稼ぎするyoutuber、パイやケツ、露出に任せて小銭稼ぎSNSで囲まれる女、高学歴の肩書を存分に利用しテレビに引っ張りだこの男。うさんくさい売り文句で広告に出てくる贅肉顔面若社長、下品を売りにしてあたかも自分は違う世界に住んでいるぞと言わんばかりの尻軽。罵詈雑言のレパートリーだけは誰にも負けないネット弁慶

 

上げだしたらキリがない。ひとたび周りを観れば、ピンからキリの人間たち。

 

今でも、そういう世界のいわゆる成功者と自分を比較してしまう節がある。

なんて馬鹿なことを、そんなことしてもちゃんちゃら意味がないのは知っている。

だが、私たちは常に非凡を望み、憂う。

SNSの時代。いやでも成功者や秀でた人間を目にする。

 

もう自分を責めるのはやめよう。

自分は自分。人は人。

努力や思考で変えられるものと、残念ながら変えられないものももちろんある。

 

➂自分を責めるのはもうやめよう。目の前を必死に生きることで、私たちは間に合っている。

 

また明日、この心持が長く続きますように(口内炎も治りますように😁

非常勤講師287日目(休日、運動にtwitterの一日)

友人と約束して朝から運動。結局のところ、人間は動物、ヒトである。

適度な運動と、他者とのかかわり、外に出て人間の行き来や存在を感じることをやめてはならないと感じた。

 

社会人になって、最近仕事に集中したいと考えはじめ特に正月明けから頑張っていこうと意気込んでいるところである。

ただ見ている世界、知っている世界が自分は狭すぎる。あまりにも狭い。

流行りにも乗りたくないし(鬼滅の刃の映画意地でも見たくない。笑)、大人数のかかわりもあまり好きではない。

浅い人間関係にはうんざりするし、ちょっとした冗談には首を傾げたくなる。

 

先週は本当に自宅と職員室の行き来のみだった。

もちろん、このコロナ禍だ。これが理想で、こうあるべきなのだろう。

 

ただ、確実にこのままではいけないような気がしてならない。

人間に幅がなさすぎる自分。

世間をまるで知らない。もっと、「外」に触れるべきなのだろう。

 

自分は傷つきたくない。認められたい、これが結局根底に、他人(ヒト)よりもあるのだろう。

 

①「他者の関心事」に関心を寄せる。

 

まさに今の自分に必要なこと。

流行りを拒絶せず、人々が熱狂しているものをまずは受け入れてみる。

大人数、確かに自分の意見は全く通らず、耳を傾けてくれないかもしれない。

傷つきたくない。だが、逃げていてはいつまでたっても克服はできない。

好きではないから、やらない。めんどくさいから、やらない。

結局これでは、人間腐ってしまう。いつまでもクソガキではだめだ。

 

②好き嫌いで行動を判断するな。面倒なことはやっておいた方がよい。

 

浅い関係から始まらない人間関係はない。

何事も最初から完全体なんてものはない。

自分で切り捨てて、何に対してもすぐに見切りをつけて生きていけるほど、自分は賢い人間ではない。そして、そもそもできる人間にその人間関係の取捨選択という低次元な思考は存在しない。

要は、人間関係は分け隔てなく、そして積極的に築いていくことが重要だ。

➂人間関係を大切にしろ。

 

今日はこの辺で☺

非常勤講師286日目(思考反芻)

連日の13時間労働にも関わらず、体の調子は良い。

職員室に長くいた方が精神衛生上良いという、外野の人間から見れば完全に洗脳された社畜にも見えるだろうが、これは本当のことだ。

結局、授業は作り続けなければならない。明日が土曜日だろうが日曜日だろうが、生徒たちに来週以降ずっと授業を提供させてもらうことになる。

結局、教師は授業づくりをやめるわけにはいかない。

そしてここで知っておいてほしいことは、授業づくりに「終わり」はない。

内容を詰めようと思えばいくらでも詰めることができる。

時事問題を取り入れるもよし、世界に目を向けても良い、彼らの将来の選択肢を増やすきっかけのためになにか映像か何かを持ってくるもよし。ああ、けどまずは授業の進度、他クラスと合わせないと。いやいや、そんなの二の次でしょ、今の彼らに必要な能力は、、、

キリがないのである。

そして、毎回この繰り返しである。ここで最悪なのが、思考だけが回転し深化し、そして原点に戻るいや、ふりだしか。この過程をもって自分の体力を使い果たし一日を終えるのである。

つまり、形として残るものは無いというわけだ。結局、確保されるべき質に到底及ばない授業が完成するわけだ。

 

このままではいけないと、ようやく悟った自分。

 

家では全くと言ってよいほど、授業準備などできやしない。

これもまあ塾の功罪の側面の一つである。思えば中学生から家でまともに勉強してはいなかった。

「塾じゃないと集中できない。」とのたまっているそこの息子娘さんは要注意だ。

何かと理由を付けて、周りのせいにして、結局自分に何もできないことに気付くことができない、とんでもない世間知らずでどうしよもない人間になってしまう。

 

結局、私は職員室で残業してでもこれから来る未来に備え続けることが、生徒のため、そしてそれは自分のためになる。

家に帰っても、気持ちだけが焦るばかり。

やるべきことは終わらない。

ならば、やるべきことが終わるまで帰らなければ良い。

 

私の世代は、いわゆる残業は悪だという振興派の流れをくんでいるが、そもそも教師にとって残業はもはや必須である。

残業ありきの仕事量だ。本当にそう思う。非常勤でさえそう思うのだから、正規や常勤講師の先生方はより残業ありきだろう。

現に、周りの先生方は平気で午前7時前から午後10時ごろまで学校におられる。それを最低でも5日、そこに土日の部活動等が入ってくるわけである。

はっきり言って、化け物である。なぜ壊れないのかが不思議で仕方がない。(壊れる先生ももちろんいる。)

 

とにかく今日の感想としては、職員室は集中できるよってこと、自分が単純な作業をしている中でも、その隣ではほかの先生方がいろいろな問題に真摯に対応して奮闘しておられるので、自分も頑張らねば。あの先生でさえ謝りに謝って、深刻な面持ちで改善策を会議しておられる。と刺激をもらえる。(音楽を聴きながらのつづりはだめだ。言葉が、タイピングがゴミだ。)

 

結論:残業最高!!職員室万歳!!()

非常勤講師283日目(花粉か黄砂か)

花粉か黄砂かわからんが、どうも肌の調子が悪くなってきた。

目もかゆい、鼻も荒れている。23年生きてきてやっと、どの時期にいつくらいに体調が変化するようになるのかを理解してきたような気がする。

 

1月中旬は要注意、これが一番の習得。

 

今日学んだこと・感じたこと

①夢がエロいと現実に戻りたくない、夢は最高。

 今日の朝、自分史上猛烈に出勤したくなかった。

②やっぱり仕事をするなら頑張って良い成果を出したい。

 有能、信頼、責任感。どうも諦めたくはない。

➂テスト等の空き時間、手帳必須。

 いかに空き時間を無駄にしないか。

 時間は有限。仕事に埋もれて、このまま自制の毎日で死んでいって良いのか。。

④良い授業、統制のある部活に必要な要素は、明確な指示である。

 生徒たちは自分たちがやるべきことがはっきりしておれば、黙々とそれをこなす。

 逆に、指示が不明瞭だと崩壊する。

 時間を計る。細かに説明する。かつ手短に。

 

 無駄なことは言わない。結論から。要点のみ。

 

 結論。要点。

 

 相手が知るべき情報と自分がこれだけは言いたい情報。すり合わせ。

 

⑤授業観察は発想の源泉。これからもどんどん観察しよう。

 年上の先生方ほど良い。年功の試行錯誤の結晶だからだ。

 それが目の前で、生徒の反応まで見られる。

 今日の感想。

 ィ)どんなすごい先生の授業でも、数人は退屈そうにしている。

   →自分が退屈そうな生徒をつくっても仕方ない、当たり前だった。

    そりゃそうか、いつも完璧主義に陥る。気楽に生きよう、責めすぎるなな

 ロ)黒板が乱雑だった。きれいな黒板を常に目指そう。

 ハ)ペア活動など、生徒主体活動が多かった。取り入れたい。

 

⑥尊敬できる先生の話は本当に理屈が通っている。そして、そのような先生には嘘もごまかしも全く通用しない。

 あの人を前に、どんなごまかしも通用しない。まして嘘がむずかしい自分ならなおさら。

 正直に生きていこう。

 そして、うまく立ち回る努力はしていこう。

 

結局、自分はどうやって死んでいこう。

何を遺せるのか。

しこしこPowerPointを作って、狭い世界で四苦八苦して死んでいくのだろうか。

教師、家族、友人、恋人(いない)、後継ぎ。

目指すべき理想像が多すぎる、その上角度方面が違いすぎる。

よく皆さんうまく生きているよな、自分はどうもどこか犠牲にしないとやっていけない。

今日もこんな深夜まで、結局形になっていない授業を明日の(今日か)朝の自分に託す。

今日の学校生活は楽しいほうだった、なんせ導入がなかったからな。

ものを教えるのは本当に難しい、それがうまく楽しい人は教師が向いている。

 

とやかく言ってないで、また明日も頑張ろう。

万一精神がぶっ壊れ、身体もボロボロになろうとも、やめれば治る。

辞めるまでは必死にもがいて、感じて、治せる自分は治していこう。

よく頑張っている。日々馬鹿にされながら、教えをもらいながら、笑顔を意識しながら先生方と関わっていると思う。

 

生徒たちと接するときは、せめて正直でいよう。会話を楽しもう。

 

これだな、今日ここに迷い込んでよかった。

今日の収穫はこれだ。

 

生徒達と接するときは楽しもう。せめて正直でいよう。会話を楽しもう。😙

非常勤講師282日目(休日出校)

今日学んだこと・感じたこと

①早起きは三文の徳。一生あの朝の余裕感に浸っていたい。

ウイグル問題は深刻。

 ネットサーフィンの末たどり着いたサイトに感化される。

 本当に日本に生まれてよかった。

 日々に一喜一憂する余裕がある自分の生活に感謝するべきなのかとも何となく思う。

➂たまには町中を歩くのも良い。

 通学路を辿ってみた。

 あのドブ、何も変わっていなかった。

 小学校、こんな綺麗になってたのか。

 この塀、こんな小さかったっけ。

 なんか犬が増えてるな。

④今日のNHK杯、超熱かった。

 行方vs佐藤。

 将棋ってあんなにおもろいゲームだっけ。

 解説も喋りが堪能だった、ブッチャーも出てきてたな。

 秒読みの時のあのぎりぎり感、九段同士の殴り合い、感激だった。

⑤休日の職員室は良い。超集中できる。

⑥私、多くの人とコミュニケーションをとらないことが一番のストレス軽減なのかもしれない。

 こうやって心穏やかに文字を綴ることができているということ自分の精神衛生が保たれているということだ。

 ああ幸せとはこういう穏やかな時間のことをいうのだろう。

⑦人生、マジで長い。

 人生長くね?

 死にたくはないし、家族が死ぬ未来なんてのも見たくない。

 本当に終わりなんて来るんだろうか。

 みんないたって健康だ、親しい友人もしかり。

 本当に終わりなんて来るのか。

 

 このコロナ禍、何が起こるかわからないけど。

 今のこの自分に置かれた環境に心から感謝したい、誰にかはわからないけど。

 

色んな自分がでてくるわ最近、躁鬱って言ったらそれまでだけど、とにかくまた明日から。頑張ろや、

 

最後に、ここ最近重大なことに気付いた。

「人間関係は広いに越したことはない。人間を避けたり選んでかかわったりするな。人間は一人では生きていけない、狭い人間に人は寄ってこない。」

 

嫌だな、めんどうだなと思ったらその機会を逃すな。成長のチャンス。

病んだら周りの人間にLINEを送ること。

することがないなら、PCで自分の考えを綴るか寝ること。

 

じゃね。🥱😙

非常勤講師281日目(帯状疱疹)

今日学んだこと

①金曜日、睡眠不足のしわ寄せ。寝ても眠い。早く起きるが吉。

②睡眠不足、何もかも効率悪い。何も考えていない時間の方が多い。

➂気遣いのできる人間になりたい。

④「言われてできるのが当たり前。それは学生まで。社会人はそうはいかない。」→鬱

⑤自信を無くした人間に何も務まらない。(自分の評価に鈍感であることも必要。)

⑥「物わかりの良い教師になるな」、まさにそう思う。

⑦本気でほかの職を考える。頭には大学の友人が映る。

⑧連日の残業に帯状疱疹。ストレスに体が耐えられていない。

 

悔しいが、毎日自己嫌悪に陥るような環境である。気づけば「どうしたら有能になれる」かを考える。

「なぜできなかった」「その考え方はなかった」そんなことばかりだ。

周りの先生方の「それはまずいでしょ」が自分にはそうでなかったりする。

日々、心身の摩耗である。精神をすり減らしながら職場にいる感覚である。

 

「言われてやるのは当たり前。社会人はそうはいかない。」

 

そうなんだろう。そう言ってもらえることに感謝すべきなのだろう。そこに言い返してしまえば、そこで「残念なガキ、恩知らずの世間知らず」の烙印が押される。

 

正直に言おう。

 

「無理です」

 

目の前で精一杯。叱ってくれてありがとう?いえるわけねえ、ふざけんなが第一声。

すんなり指示してくれ、期待しすぎ。目の前に集中させて。ただでさえ、目の前のことでもぼろでてんのに、気の利いたことができると思うかい、高望みではないかい。

すっかり自信を無くした、自信じゃないな、尊厳とも言おうか。

何を心持にして発言したらよい。

もはや自分の第一感で選んだ言葉たちは、彼らには不正解だ。

自分の正解が、周りにとって不正解だ。

これほど生きにくいことはない。

残念だが、こういうことだ。

 

思えば、褒められたことはないような気がする。

確実に、その相対反応が押し寄せた思いでしかない。

そしてそれが今も自分を苛む。

 

特に今日は、がっくり来た。

表情に力が入らない。体の力も抜けていった。

「どうでも良いや」とも思えた。

 

彼らの声を聴きながら、自分の頭の中は「ああ、あいつと働くの良いな。教師みたいな、子供に何か教えたり随所で臨機応変に対応する必要のない、単純作業寄りが一番自分にも楽だろうな、あいつらにも会いたいな、近くに住めば結構会えるな、なにしよう」なんて考えていた。

 

今や、昔ではない。おそらく、そうやって教育されてきたのだろう。だが私のような弱い人間は、叱り続けるのは、正論をかまし続けるのは得策ではない。叱る→褒める→叱るぐらいでないと、普通に辞めたいまで来てる。

 

持論はこうであるから、生徒らにも全否定などはもってのほかだと思う。もやは否定は必要ないとも思う。彼らの痛いところにも触れるべきではない。信頼関係のないところで、いわゆる「いじり」もあってはいけないし、晒上げのような言及もよくない。

 

彼らの貴重な時間を無駄にはしたくないし、もっと有能で導き方がうまい人間が彼らの教師であってほしい。

生涯レベルで教育できる先見の明を持った人間が教師をするべきだし、どんな場面でも最適解に限りなく近い解答を選び抜ける人間が教壇に立つべきだし、確固たる持論をもって生徒を良い方向に導ける人間が代わってくれ私と。

苦しい日々が続いている。そのため、ここの掃き溜めに来る余力さえなかった。皮膚にもとうとう違和感を感じている。目なんかは特に、画面の見過ぎで痙攣が定期的にある。

 

頑張りたいという気持ちは消えていない。明日も午前から部活だ。

つくづく頭の中は取っ散らかっているが、寝るよりほかない。寝る以外の選択肢は無い。

頭の中をきれいにしに来ました、また今度。

非常勤講師276日目

今日学んだこと

①部活が無いと遅く起きることができる。

 遅起きは罪悪感を覚えがちだが、昨日も言った通りそんな必要はない。

 人は人、自分は自分でほかで頑張れば良い。

②母の飯は美味い。

 感謝しかない。生きる糧だまさに。

コメダの居心地は比較的良い。

 430円かかるのがネック。

④一人暮らしがしたい。

 なぜか。人間としてまだまだ未熟で、世界や社会を知らなすぎるからだ。

 実家暮らしでは、どこにも行けず人に会えない。

 家族にコロナを感染させるにはいかない。

報道特集を観て、改めてコロナの恐ろしさに震えた。

 医師団の使命感に感服。数十の病院からの緊急メールに対応する先生、午前1時に勤務を終えるも、病院の駐車場に停めてある車でpcを前に作業。ここ数か月その生活の繰り返しだという。

 ニュース番組で泣きかけることになるとは。

 まさに戦場の最前線で踏ん張っておられる医療従事者。

 なぜ自粛させられないといけないのかと憤慨する周囲。

 昼夜問わず目の前の患者のことを最優先に戦う医師団。

 完全に油断している自分、コロナ慣れしている自分。

⑥動くことの重要性。

⑦コロナ禍とはいえ、人間と会うことは生きる上で必要不可欠だ。

 県外移動、密集空間、飲食店。それらは避けている。

 

特に今日はつづることはないと考えていた。

YoutubeTwitterを見ていると、生きていくうえで何かを世の中に遺していくことは必要ではないかと思った。色々な人間が工夫を凝らし、自分の武器を理解し世の中の関心や評価を狙っている。色々な人間がそれに成功し、活き活きと活動している。

自分も何か遺したい、遺しておきたい。そう考えた。

自分がしてきたこと、できること、したいこと。

もろもろ考えた結果、文字をつづり続けること、これこそが今自分にできる最善の貯蓄だという結論に至った。

見返りを求めすぎず、かつ好きなこと、それでいていつかためになるのではないかという可能性を伴うことが、今こうして日々を綴るということということだ。

 

とにかく今日は吐き捨てる必要がなかった、言うなれば幸せな一日だった。

母の飯がうまい、それが二食分。これと、友人とスポーツ。大きな要因はこのへんか。いつもありがとう。周囲には感謝しかない。